ジョーン・G・ロビンソンの「思い出のマーニー」を読みました。

先にジブリのアニメのほうを見てから原作を。
このお話はとても不思議なお話です。

ファンタジーのようでありながら、現実とからみあっています。

確かに、宮崎駿さんがこの話をアニメ映画にするのは
とても難しいとおっしゃっていたことがわかります。
また、この映画は主人公の内面世界として見ると感動できるのですが、
そのままで見てしまうと、拒絶反応というか、わかりにくい世界になってしまいます。
なので、多くの批判的な意見が飛び交っているのを読み、とても残念に思います。

これは映画のキャッチコピーである「あなたのことが大好き」という言葉が
誤解されやすいなあと思いました。
だから、百合系の女の子同士の話??と思われてしまうのですね。
ジブリというブランドは非常に影響力が強いので、言葉の使い方は難しい・・。

この「あなたのことが大好き」というのは原作では
ものすごく重要なセリフです。


■思春期の内面世界


主人公のアンナは原作設定では12、3歳くらいかと思います。
孤児で、施設から里親にもらわれて生活しています。
彼女と里親との関係は悪くはないけれど、アンナは心を開くことができません。
いつも見えない魔法の輪の外側に自分はいるのだと思っています。

つまり、どこにも属さない、居場所がないと感じているのです。
そしてなるべく関わらないようにつまらなそうな顔をわざとします。
頑張ることもしようとしません。


先日、借りていた本の中で日本人の意識調査ですが、
小学生のときは自分のことが好きかという質問に過半数が肯定的なのに対し、
中学生になるとかなり減り、自分がまわりにどう思われているのか気になる人が増加しているということが書かれていました。

中学生くらいの年齢はまわりの世界と自分との関係が気になり、
自意識過剰になりがちで、自分に対して、ネガティブな意識を持ちやすい傾向になります。


この原作の話に触れた時、自分の中学時代のことを思い出しました。

人生の中でもっとも魂が危機的状態だったなあと。
それは自分だけではなく、まわりもそうだった。
私が中学のときは非常に荒れた時代で、「積木くずし」というドラマもありましたが、
私が通っていた中学はその中でも一、二を争うほど、県内で荒れていた中学でした。
クラスには必ず不良グループがいて、よく窓ガラスも割れていて、
鑑別所にいるというクラスメイトもいたり。

校則も非常に厳しく、まだ教師による体罰がおこなわれていた時代です。
朝礼で並び、女子生徒のスカーフがセーラー服の裾から何センチと決まっていて、
ものさしで計るような世界。

小学生のときに仲がよかった子がよそのクラスだったけど、
こわいほどの拒食症になって痩せこけてて、
遠足でかっぱえびせんをひとつ渡したら、それすらも食べられない状態をみて
まわりの子たちといっしょにショックを受けました。

とはいっても自分も摂食障害があり、一年くらい生理もなく、
親戚からも食べろ、食べろと言われたこともあります。
自分も余裕はまるでありませんでした。

そんな危機的状態をいったいみんなどうやって切り抜けたのだろう・・・。

そんなことを思い出させてくれる話でした。


いま、2学期がはじまるときにもっとも中学生の自殺が多いと言われています。
また、先日も中学生の子が夜中から出歩き、殺されるという事件もありました。


問題児ならともかく、アンナのように問題がないとされる女の子の内面は
大人からするととてもわかりにくいです。
子どもでも大人でもなく、不安定になりやすく
かといって、何かが問題という意識もなく、助けを求めることはありません。

この時期の子どもは自分から自然の中へ癒しを求めるということはあまりありません。
自分のことを考えると、自分が住んでいるところは田舎だという意識が強かったので、
田舎や自然のあるところに興味はなく、むしろ、都会に興味がありました。

アンナの場合も自分から行くことはなく、喘息があるため、医師の勧めで
イギリスのノーフォーク州の湿地地帯の田舎へと行くことになります。

アンナの里親のミセス・プレストンは世話焼きな心配性の方です。
だからこそ、アンナは「やめてくれればいいのに」という気持ちが出てしまいます。

中学生くらいって親の干渉がもっとも疎ましい時期です。

しかし、親も教師も干渉しがち。

エドワード・バックはこんな風に書いてます。
「親は、子どもが自分のことをうまく一人でできるようになるにつれて、徐々に管理するのをやめ、その後は親に対する遠慮や間違った義務感が子どもの魂からの指示を阻むことのないよう注意しなければなりません。」

「エドワード・バッチ著作集」BABジャパンより

まわりの大人がこの年代の子供たちにどのように接するかが
より闇を濃くするか、自然な働きで闇と光を統合していくかの分かれ目になるようにも思われます。

また、干渉しないことと放任とは違います。

子供たちが家出することが多いというのは難しいところです。


アンナはペグ夫妻のところに行くことになり、ノーフォークの田舎ですごします。
このペグ夫妻はいい具合にアンナをほおっておいてくれます。

だから、マーニーという少女と出会い、毎日のように出歩き、
夜中に出かけることさえあり、
何度か外で倒れてたり、座り込んでいるところをよその住民に発見されます。

今だと犯罪にまきこまれててもおかしくない状況です。

幸い、この小説の時代はのんびりしていたかもしれません。

今は自由に田舎でさえ夜中に女の子が歩き回れるような時代ではありません。

そうすると、中学生ってほんと行き場がないなあと思います。
家では親が干渉してくるし。

「夫人はいつも優しいのだが、どうしようもない心配性でもあった。ああ、もし、ときどき何の理由もなく、あるいはたいした理由もなく、好きなだけ自分が泣いても黙って見ていてくれる人がいたら、どんなにいいだろう。」

アンナのこころの中です。
泣いている場合、人に心配されたいという理由で泣いていることもありますが、
誰にも声をかけてほしくない場合もあります。


そういうことで、ネット世界に自分の世界を作っていく傾向にあるのかもしれません。

私の場合は中学生のとき、どこに癒しを求めていたかというと
漫画やアニメ、物語の世界だったなあと思います。
いまの中学生もそうかなと思うけど。

こうしたものは今や大切な要素でしょう。


長くなってしまうので、続きます。


その2以降は
・マーニーの存在とアンナの内的世界
・思春期のこころの闇と光の存在

について書きます。


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